ヨガの起源シリーズ8


【勘違い】




前回は…



「サマパッティ」や「三昧(ザンマイ)」という心の安定した状態に入ること。



それが、宇宙と自分自身がつながっている、気が付くことにつながるという話でした。



ZERO YOGAでは、自然体を創るところから始まります。



自然体を創ると、自然と身体と心が強く安定した状態になります。



ここから先に成長しようとするときに邪魔をすることがあります。



それが、軽薄な知識や小手先だけの才能です。



これらは勘違いを生んでしまいます…



これは事実として、多くの方を指導してきた中で、私自身が痛感してきたことです。



ゆえに、ヨガでは昔から軽薄な知識や、議論から解脱することを力説しています。



こうした軽薄な知識や、小手先の技術、小理屈に囚われては「オン」にならないからです。



つまり自然との調和ができないということです。



「無明」という、真理がわからない状態では「オン」にならないわけです。



独りで無明から解脱するのは、困難を伴います。



そこで、師から教えを受ける「師資相承(ししそうしょう)」ということを重んじられています。



勘違いすることが、とても危険だからです。



ただし、現代では、勘違いした人が師となっている場合が多すぎるのが恐ろしいところです。



本来は、真理を理解し、再現できる師につき教えを受けることが大切だということです。



これはヨガの特徴ですが、日本の伝統「道」の教えに通ずる考えです。



だから私はヨガと、日本の伝統「道」の哲学が同じところに起源があると考えています。



ZERO YOGA ? 日本の伝統「道」



この根源にある「一つのもの」を追究することをZeroArtsと称しているわけです。



白川 紘



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