ヨガの起源シリーズ44

【二つの仏教①】



前回までのヨガの起源シリーズは…




お釈迦様の考え方というものを①~⑥の全六回でみてきました。




そこで、なぜお釈迦様が悟りを開き、教えを説いていったのかが見えてきたと思います。




要約すると、お釈迦様はヨガなどの哲学をもとにして人間を研究したといえます。




人体としての人の観察ではなく、心を観察したといえるでしょう。




そうして、時の社会を支配しているバラモン教が腐敗していたことで苦しむ人々を救おうとしたということです。




その救い方というのは…




まずは自分が悟り

   ↓

他者に教えを説き

   ↓

他者を解脱へ導く




こうしたプロセスをとおして教えを説いていたようです。




これが釈迦仏教のありかたでした。




つまり他力本貫や自力本貫ではなく、必要に応じて適した教えで導く。




依存は良くないけど、かといって自分さえ良ければいいでもない。




他者を救うことで、自分もさらに成長するという循環こそがお釈迦様が伝えたかったことだと思います。




それが、あるときから大乗仏教と小乗仏教(上座仏教)に分かれていきました。




今回からしばらく、仏教の分裂がなぜ、どのように起こったのかをみていきましょう。




それは、お釈迦様がなくなってからのことでした。




弟子のマハーカーシャパという人が中心になって「三蔵の結集」がはじまります。



「三蔵の結集」については後述します。



マハーカーシャパは禅家の人々の誇りとしている人物です。




その由来は、お釈迦様が生きており悟り、真理の境地に達したころの話しです。




お釈迦様はこの時ある悩みをかかえていました。




それは、この悟りという感覚を人に説明しようとするのですが言葉にできなかったからです。




別の言い方をすれば、それをあらわす「言葉が存在しなかった」からです。




ほとんどの人が感じたことのない、体験したことのない感覚なので、仮に言葉があっても真意が伝わる相手は、同じ体験を知る人のみになります。




ゆえに、伝える言葉をひねり出そうと苦しんでいたようです。




このときマハーカーシャパが、お釈迦様が苦しむ姿を、顔をほころばせながら笑みを浮かべてみていたといいます。




これを「拈華微笑(ねんげみしょう)」といいます。




それに気が付いたお釈迦様が「文字や言葉を超えた、表現できない真理があり、それをお前に伝授しよう」といったそうです。




禅は、この文字や言葉を超越した真理があり、そこから禅は始まるというのが禅家の誇りだとされています。




このマハーカーシャパは、お釈迦様の弟子の中でも一番上座…つまり長老にあたります。




お釈迦様の説かれた「原理原則」「真理」そうした教えを体得するうえで掟や戒律、理論などがあります。




この掟や戒律、理論のことを「三蔵」…つまり人間にとって大事な三つの蔵という意味でそう呼びます。




マハーカーシャパが中心になって、この「三蔵」をまとめて整理しようということになりました。




お釈迦様がとういう原理を説かれて、どういった掟を定められ、またお釈迦様自身がどのように生きたのか。




こうしたことを、お釈迦様の死後に弟子があつまり、それぞれがお釈迦様から学んだことを持ち寄ったわけです。




このことを「三蔵結集」といいます。




専門的な言い方をすれば、聖典編纂会議をいう感じです。




こうしたことが、数回にわたって行われました。




これは、キリスト教でも同じようなことが行われています。




この会議の一回目を中心となって行ったのがマハーカーシャパだということです。




このころは、まだ全員がお釈迦様という人物をそのまま崇拝していました。




お釈迦様のいわれたことを素直にそのまま受け取り、そのまま実践しようと努めていました。




それが、お釈迦様がなくなり歳月が過ぎてゆくと、直弟子たちも亡くなってゆきます。




弟子も三代目、四代目となるうちにお釈迦様の本心や、説かれた教えが分からなくなってきます。




こうして、誤解したり、間違ったり、それが議論を呼び意見がわかれ始めます。




それではマズいということで、お釈迦様が亡くなって百年後に第二回目の「三蔵結集」がおこなわれました。




それから、また暫くして、仏教史で名高いアショーカ王が第三回目の「三蔵結集」を行います。(紀元前3世紀半ば)




このころは、文字が使われはじめていました。




そこで日本の『古事記』と同じように口伝えをもとにして、文字で書かれたのが「教典や典籍」です。




その文字は、北インドに広がったのがサンスクリット語で、南方面に広まったのがパーリ語と2種類ありました。




そのため仏典はサンスクリット語で書かれたものと、パーリ語で書かれたものと二種類になりました。




そして紀元前に終わりごろには、南方仏教と北方仏教というものにわかれたしまいます。




そして西暦80年頃に北方仏教側で第四回の「三蔵結集」が行われるています。




こうして、度々お釈迦様の教えとされるものが、吟味され、検討され、分類されています。




今回は、ここで終わりたいと思いますが、ここで学ぶべき点は…




言葉や、文字だけでは理解できないような学びというものが存在するという事です。




たとえば、自転車に乗るという感覚は、自転車に乗れた人しかわからないと思います。




それどころか、乗り物にすら乗ったことが無い人は、何かに乗るという感覚そのものがわかりません。




わからないというのは、想像できないという意味です。




自転車にのったことがある人は、一輪車に乗るということは、自転車に乗った体験からある程度の感覚を想像できると思います。




しかし、乗った経験が無い人は想像できません。




ゆえに、乗り物に乗ったことのない人に、自転車に乗る感覚を言葉でつたえようとしても、正しく伝える言葉が無いといえます。




いにしえの日本人が、言葉ではなく、見せて学ばせ、やらせて学ばせた由縁はここが分かっていたからなのではないでしょうか。




このように、歴史に学べることは無数にあります。




また、歴史をしっかり理解するとは丁寧に、つぶさに紐解いて行くという姿勢でもあります。




この習慣が、人を大きく成長させてくれると思うので、これからもぜひ歴史に学んでほしいと思います。





白川紘




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ヨガの起源シリーズをまとめてご覧になれます。

https://www.zeroyoga.info/blog-1

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