ヨガの起源シリーズ41

【お釈迦さまの考え方④】




前回のヨガの起源シリーズは…




お釈迦様が大悟して、教えを広めてゆく中で嫉妬や猜疑心をもつ人たちが現れ




様々な妨害や迫害をうけたという話でした。




そうしたことで、お釈迦さまの一族であるシャカ族が滅亡しているわけです。




ここまでの仕打ちをうけて、お釈迦さまが何を考え、どう行動したのか…




そういった事をみてきたわけですが…




今回は、そうした苦難の中で一切ブレずに哲学を貫いたお釈迦さまの哲学に迫りたいと思います。




ですが…その前に、ここで日本にちょっとだけ場を移したいと思います。




なぜ、このタイミングで日本なのかというと…




前回に、さかのぼりますが、お釈迦さまの一族が滅ぼされようとしたとき




お釈迦さまはとても苦しみながらも、闘争場裡にたちませんでした。




それによって、シャカ族は滅亡しました。




しかし日本では逆の行動をした人物がいます。




その人の名は「聖徳太子」です。




聖徳太子が仏教を日本に入れるにあたって。




インドの出家仏教というスタイルを捨てました。




そして、在家仏教というスタイルを選択しました。




出家というのは、民族の栄枯盛衰を超越して、真理の生き方を貫くという生き方です。




逆に在家というのは、国家というなかに、もっと言えば政治に仏教の教えを取り入れて真理の生き方と、鎮護国家を合致させるという形態です。




日本が仏教によって滅びなかった由縁だと思います。




もし、これがなければ日本は古代インドと同じように、一度仏教によって滅んでいたかもしれません。




そういう節が、時代ごとに度々みられます。




また、これは仏教がインドから中国に渡り、さらに朝鮮経由で日本に伝わる過程で変化していることも要因の一つだと思います。




こうした仏教伝来の変化なども詳しく知ってもらいたいのですが、それは別の機会にゆずります。




話しを戻して、一族が滅ぶところまで来ても信念が揺らがず貫いたお釈迦さま。




こうして身をもって真理を体得して、その学びからさらに教えを深めて民衆の教化に努めました。




そうして、最後は有名なクシナガラ城外の沙羅双樹の下で弟子の阿難たちに取り囲まれて寂滅しました。




おおよそ80歳前後であったと伝えられています。




お釈迦さまや仏教を研究していくと、宗教というよりも教えが哲学的であり哲学家という側面が強くあるように思えます。




あるいは、形式道徳や通俗的教訓というようなものを押し立てたという見方をする人も多いと思います。




しかし、実際は…




「人とは何か」


「生とは何か」


「我とは何か」




そうしたことに答えを出し…




自ら覚り、そして他者を覚らせるという精神に情熱を注いだ指導者だったといえると思います。




これこそが、お釈迦さまの一番の特徴だと思います。




よく教典に引用するように…




ケガをしている人を前にして、キズについてのウンチクばかり論じて、キズに対してまともな治療ができない医者ではなかったということです。




教えの論理体系もしっかりと整っていて、知識も相当量あるなかでの、実際に人を救うという行動をした人物こそがお釈迦さまであるということです。




そして、お釈迦さまは、人間には「愛」と同時に「敬」というものがあって、はじめて進歩向上する




世の中に「敬」するべき何物も持たないということの禍を常に口にしていました。




つまり…




「人はどうすれば堕落しないのか」



「人はどうすれば解脱できるのか」




それに対して、常に自分が尊敬し帰依(信仰)する何物かを持たなければならない。




尊敬し帰依する何物かを持たないことが禍につながるのだから…と。




では、その尊敬し帰依する何物かとは何なのでしょうか?




そのことについてお釈迦さまはこう説いています。




それは「ダルマ〈法〉」である…と。




ダルマ〈法〉といっても様々な見解があります。




「存在」「実在」「現象」といってもいいでしょう。




これは複雑かつ微妙な「十二因縁」から成り立っています。

※十二因縁については『ヨガの起源シリーズ28』をご覧ください。




法華経にあるように…



如是相


如是体


如是力


如是因


如是縁




という是(ゼ)の如き様々な因縁から存在しています。




これは、つまり存在とは縁起(原因と結果)なのだということです。




因縁から始まるすべての現象の世界…




この現象の世界を、あるがままに感(観)じて「ダルマ〈法〉」といいます。




その「ダルマ〈法〉」に徹すると、そこに厳然な因果のルール(規則)がある。




因果(原因と結果)…




これこそが「法則」であり、お釈迦さまが徹見したものでした。




また、それと同時に、そこにはもう一つあります。




それは、西洋哲学でいう「価値」…




例えば「真と偽」「善と悪」「美と醜」といった価値です。




こうしたものも、すべて「ダルマ〈法〉」です。




こうしたものを徹見して「人間はいかにあるべきか」という『道』を明らかにしたのがお釈迦さまだったわけです。




この『道』こそが、「ダルマ〈法〉」のもっとも大事な意味です。




ただ…この『道』に関しては言葉だけで伝えるには限界があり、誤解を招くもとにもなります。




身体、精神、歴史、知識、智慧、体験、経験といったものを総合して学ぶべきものだと思います。




ゆえに、ここではこれ以上は触れません(笑)…ぜひZERO YOGAへ




今回は、お釈迦さまのたどり着いた答え




お釈迦さまが貫徹した哲学を深くみていきました。




次回は、横軸に広がりをもって見てみたいと思います。






白川紘


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ヨガの起源シリーズをまとめてご覧になれます。

https://www.zeroyoga.info/blog-1

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