ヨガの起源シリーズ37

【右でも左でも、中間でもない中道って?】

前回のヨガの起源シリーズでは… 古代のバラモンの僧侶の生活を観ていきました。 四期に渡る修行生活のなかで、俗世的な物事を離れ あらゆる煩悩を断ってゆくといった目的を持ち人生そのものを修行ととらえて生きていたといえるでしょう。 今回は、これまでと少々異なる内容をつづりたいと思います。 それは、このバラモンの修行過程の世俗を離れて修行する点について異なる意見を持っているためです。 前回の内容の中で ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 林棲期には家を子に任せ、林や山に入り生活し… 日常の家庭問題などにとらわれず、一般人としての生き方に区切りをつけ… お酒や女性などといった、あらゆる人間の欲望や煩悩を断ってバラモンの神を信仰し… あらゆる解脱の修行をして… 第四期である遁世期に至り… 町に出て、ヴェーダを唱えること以外いっさい口をきかない 生活も、生きる上で本当に最低限の着物(布)と食べ物だけで行う 一切の財産を捨て、自分の心から一切の害心を捨て去る ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ という内容でしたが、この点に関してこうした生活が理想だというわけではありません。 あくまでバラモンの僧侶がそうした考えをもって修行をしていたというだけです。 今回は指向が異なるというのは、この点に関して誤解をしてもらいたくないので個人的な考えをお伝えしておきます。 それは…一人で林や山へ入り修行をするということ そして町に出てもヴェーダ以外は一切口を開かないという点です。 これは、強制的に家庭の問題などから離れているだけです。 だれにも会わなければ当然人との衝突など起こりようがありません。 一人だと心静かに生きられることでしょう。 本来、人は社会的な生き物です。 自分とは異なる他者の存在のおかげで心が磨かれ成長していけます。 人間関係のトラブルが一番多くの人を悩ませ苦しませている原因だといえると思います。 この話をきいて、中には、人間関係よりも金銭の問題の方が多くの人を悩ませ苦しませていると思う方もいるでしょう。 しかし、金銭的…つまり経済的問題も人間関係の失敗に起因していることがあります。 商売や会社での出世といった事、また就職活動なども他者とのコミュニケーションの能力によって切り拓くことができるのも事実です。 商売では、取引先やお客様など… 会社での出世では、上司や取引…当然お客様も含みます 就職活動では、面接官や、もしくは人間関係から仕事を紹介してもらうといったこともあるでしょう。 そう考えると、経済的問題の多くは、人間関係の構築、つまりコミュニケーション力でどうにかなることも多いといえます。 人間関係で、人と衝突する…人から攻撃を受ける こうした問題は、人生では一つの難だといえるでしょう。 人生に難が有る…有難い 人生に難が無い…無難 こうした言葉があるように、人里離れての暮らしは人間関係という難が無いわけです。 そしたら、当然悩まされることも煩わされることもないでしょう。 しかし、それはそうした環境にあるからです。 その環境では、煩悩を断てたとしても、また人里に戻ればすぐに人間関係で苦悩を抱えることになります。 そう考えるなら、本当の修行は、真の前に相手という他者がいる中でも、心が他者に囚われない訓練をした方が効果的です。 他者という砥石があるから、自分を磨き鍛えることが容易なわけです。 成長を望むのであれば、これほど有難いことはありません。 また、町に出てもヴェーダというお経以外は口をきかないという点も。 結局は、人間関係に煩わされないようにバリアを張っているだけでしかないように思います。 本当は、世俗から物理的に離れるのでも、心理的に離れるのでもありませ。 この点が、すでに本質的ではないといえるでしょう。 本質的にいえば、心身共に世俗的なものの中にありながら、そうしたことに囚われないで生活ができるようなることを目指すべきです。 着るのもや、食べ物も生きる上で最低限にすることですら同じです。 強制的に、戒律の中で無理してそうした生活を送れば、どこかでストレスが爆発しておかしくなったり… 誰も見ていないところで、隠れて戒律を破ったりすることが起こります。 実際に、バラモンの僧侶たちのなかで、当時そのようなことが多々起こっています。 こうした、強制的にやるというのは、非常に不自然なことです。 不自然とは、持続不可能ということでもあります。 ということは、逆に自然であるべきだといえるでしょう。 たとえば、食事の例えでいえば、美味しいものを食べても、純粋に自然の恵みや、料理してくれた人の心配りに感謝して… 美食というものに執着しない、感謝の心を養うことの方が自然的と言えるでしょう。 お金だって同じです。 お金に悩まされることは、多くの人が経験したことがあることでしょう。 お金が人を悩ませる…「そんな悪いお金はこの世からなくなってしまえばいいんだ」 しかし、たとえお金がこの世から消えたとしても、必ずそれに変わるものを誰かが発明して、その新しいお金に変わるものに悩まされる結果となることでしょう。 つまり、それらは、すべて自分の外側に原因があるという視点です。 この視点を、自分の中に向けると「お金が悪いのではなく、自分のなかで起こるお金に対する執着がいけないのだ」という答えに行き着きます。 そうしたら、始めてお金に惑わされないために…「お金を道具として使いこなせる人間になるべきだ」という答えにたどり着くわけです。 これは、食べ物やお金だけに限らず、すべても物事に言えることです。 煩悩や執着とは、実は自分の外側に意識(とくに無意識)が向かうことです。 だいぶ話がそれてきましたが、結局何が言いたいのかというと… 原始的なバラモンの修行の考え方そのものが、外側に意識が向うという前提があったということです。 そのことに気が付いて辛い山での修行をやめて、日常の生活の中に悟りを追究したのがお釈迦様でした。 お釈迦さまの、この気づきを「中道」といいます。 王様の息子に生まれ、贅沢な王宮の暮らしの中に苦悩し… 孤独な山での厳しい修行の中にも本当の答えを見いだせず… 結局、答えは日常の中にあったということに気が付いたわけです。 よく政治の用語として「右派」「左派」「中道派」と使います。 「中道」右でも、左でもなく、中間点というような意味合いで使われることがほとんどです。 しかし、本来の意味としては違います。 右も左も、その中間も、外側に意識が向かうという意味では同じです。 そうではなく、右、左、中間という外ではなく、自分の中という、まったく新しい視点こそが「中道」なのです。 この「中道」から始まったお釈迦様の教えが原始仏教を誕生させました。 そして原始仏教に影響を与えたものがもう一つあります。 それは「ダルマ」というものです。 ダルマとは達磨さんの名前の由来になっているものです。 ダルマとは法のことです。 法とは、法則や法律という言葉に使われ漢字と同じものです。 このダルマをお釈迦様は徹見しました。 ということは、このダルマを知ると、よりお釈迦様の考え方が理解できると思います。 そこで、次回から「ダルマ「というものについてみていきたいと思います。 白川紘 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ヨガの起源シリーズをまとめてご覧になれます。 https://www.zeroyoga.info/blog-1 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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