ヨガの起源シリーズ36

【賢者は歴史に学ぶ】

前回のヨガの起源シリーズは… 手段が目的にすり替わる…というテーマで 時間とともに、その本質が失われてゆき浅はかになるということでした。 言い換えると、何のためにやっているのかわからなくなるということです。 目的を見失い、瞑想ではなく、完全な迷走になるということです。 伝統や宗教観といったものは、とても大切だと思います。 しかし、その本質である「そもそも」が失われていることが多々あるように思います。 儀式や型といった本来の意味や目的を見失い、 形式にばかり固執することが伝統を守ることではないはずです。 現代と同じようなことが、太古のインドにいたバラモンという最高支配階級の僧侶にもおきていました。 そこで、歴史に学ぶため、今回は古代のバラモンの僧侶の生活を簡単にみていきたいと思います。 まず、バラモンは一生を四期に分けていました。 第一期が「梵志期(ぼんしき)」 これは就学期のことで、親元を離れて師に就く。 そして師の教えを聞いて学びました。 その内容とは… ヴェーダという哲学を習い 神に仕えて司祭の勉強をし 戒律を教わり、習練する。 こうしたことを行うのが梵志期です。 そして第二期が… 家居期です。 自分の家に帰り、親元で家事に服す時期です。 実家で一般的な日常生活を営みます。 そうした日常のなかでバラモンの神に仕えてお祀りします。 つまり宗教的な儀式を日常の中で行うわけです。 当然ですが、結婚して、子を授かったりもします。 それから暫く子育てなどして、子が成長して大きくなってくると第三期に入ります。 家を子に任せ、林や山に入り生活します。 これを林棲期といいます。 この時期には就学時期に教わったことを、今度は本格的に勉強します。 日常の家庭問題などにとらわれず、一般人としての生き方に区切りをつけます。 お酒や女性などといった、あらゆる人間の欲望や煩悩を断ってバラモンの神を信仰します。 さらに、あらゆる解脱の修行をします。 そして、第四期である遁世期に至ります。 遁世期になると、初めて町に出て、ヴェーダを唱えること以外いっさい口をききまません。 今でいう、お経のようなものです。 このヴェーダという哲学のお経の以外の事では、世俗の人間とは一切話をしないということです。 生活も、生きる上で本当に最低限の着物(布)と食べ物だけで行います。 そして、一切の財産を捨て、自分の心から一切の害心を捨て去ります。 ガンジーが行っていたアヒムサ(Ahimsa)というのも、これと同じです。 俗にいう不殺生で、生そのものに徹底し、生きとし生けるものをどんな形だろうと害しないという生き方です。 これが、バラモン以来のインドの徹底的な信念であり、固く理想とされてきた考え方です。 この信念を持っているのが小乗仏教(上座仏教)です。 ゆえに、小乗仏教では蚊やゴキブリなど一切の虫すらも殺さないという生活を行います。 しかし、何の争いもない平和な原始的社会であればこうした生活でもよかったのですが… 歳月がたち、世代が変わっていくことによって考えが凝り固まり、柔軟性を失ってしまいます。 つまり、そもそも何のためにやるのか… なぜそうするべきなのか… 環境が変わったときにどう変化させる、順応させる必要があるのか。 こうしたことが分からなくなってしまいました。 時代や環境や、社会の価値観に応じて変えるべき教えを変えられなかったために矛盾が生じていきました。 お釈迦様が登場した時代…バラモン教の末期にあたる時代。 この時期には、表向きは平和で安定しているようでも、バラモンの内情は荒廃して私利私欲にまみれたバラモン層が多発していました。 こうなってくると、常識とされてきた宗教や信仰生活に懐疑的になった人が表に自らの言論をもって現れます。 そして、たいていは両極端な方向に振れてます。 自由や解放、そして現実を重視した主張を唱えるお釈迦様のような人 極端な禁欲、清貧やミニマリズムといった主張を唱えるマハーヴィーラのような人 ちなみに、マハーヴィーラとはジャイナ教の教祖にあたる人です。 その他にも、当時さまざまな主義主張が登場しています。 例えば、インド六派思想、あるいは六派哲学というものです。 そして、こうした主義主張が社会を混乱させ始めたのでした。 ただし混乱といっても、悪い意味ばかりでもなく、凝り固まった社会の価値観をみんなが問い見直すきっかけになったわけです。 バラモンの社会には、カースト制度という階級社会制度があります。 1.バラモン(最上級の司祭階級) 2.クシャトリア(王族・貴族階級) ※お釈迦さまやマハーヴィーラもこの出身 3.ヴァイシャ(農工商階級) 4.スードラ(奴隷階級) さらにこの下に、人間ではない扱いをされたセンダラという階級にすら属さない人々がいました。 元々は、役割分担として神のもとの人間生活が理想的に行われるようにと考えられてできたカースト制度。 しかし、いつのまにか権威や権力というものの力に屈した一部の人々が堕落してこのような差別的制度という結果になったわけです。 こうした、不要な差別を打ち壊そうとした人がお釈迦様でした。 だから、後の時代の日本仏教の中興の祖として登場した日蓮上人などは… 「我はセンダラが子、日蓮なり」 という言葉を残しています。 つまり、自分はインドで一番さげすまれたセンダラなんだと。 日蓮上人がセンダラなのだから、どんな人でも自分をさげすむ必要も、臆する必要もないといっているわけです。 話しは脱線しましたが、本質が忘れられてくると精神的にも実生活でも、また社会的にも、あらゆると事で行き詰まりと混乱に陥ると歴史が証明しています。 「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ」という古諺がありますがまさにその通りです。 自分の実体験という経験も大事ではありますが、人間一人の人生の長さは長くて100年程度です。 歴史には… 何千年、何万年という時間の記録から 何百億という人々の人生という記録 何十、何百という王朝や文明社会の記録 そして何百億もの思想や哲学の記録 こうした一人の人間では及びもしない広大な記録が眠っているのが歴史なのです。 そこから学び、現在に活かすことは、形骸化の波にのまれないことにもつながるわけです。 みなさん、歴史を学ぶことをお勧めします(笑) そしてせっかくなので、学んだら活かしましょう! インプットとアウトプットができて、はじめて学んだといえます。 白川紘 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ヨガの起源シリーズをまとめてご覧になれます。 https://www.zeroyoga.info/blog-1 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

32回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示