ヨガの起源シリーズ35

【手段が目的にすり替わる…】





前回のヨガの起源シリーズは『本当に学ぶべきこととは?』というテーマでした。





それは…





散乱心、昏沈心、不定心などの囚われない。





取りとめもない現実に囚われず解脱する。





そして、本当の意味での自己をつくり、本当の自由を得ることが真の学びに直結します。





さらに、学ぶ過程で、どうしても視野狭窄になり…





また近視眼になってゆき、目的達成のための手段だったことが、いつの間にか目的にすり替わってしまいます。





たとえは…





「料理人になって、たくさんの人に美味しいと喜んでもらいたい」という思いで料理の修行をはじめても…





次第に、料理の技術や、包丁といった道具…または食材にばかりこだわりすぎて、食べる人のことを考えない料理を作ってしまう。





こうしたことは、様々な場面で頻繁におきています。





これは、枝葉末節、目先のことに囚われてしまい本質が分からなくなってしまった結果おこることです。





このようにならないために、何を学ぶべきなのかを改めて考える必要があるということでした…





こうしたことを、原始仏教ー小乗仏教の人たちは様々なことを考え、努力をしてきました。





そのなかで大きなことを一つ挙げると…『不浄観(ふじょうかん)』というものがあります。





これは、人の心を刺激して、欲望を掻き立てるようなものをすべて不浄とみなすところからきています。





一休禅師(いっきゅう)などで有名なたとえですが…





「美人白骨の図」などというものがあります。





美人を白骨と観ずる…





美人という表面的な部分の表現を捨て去り、その奥にある白骨を観る。





これを不浄観といいます。





西洋にも似たような考えがあったようで…ウィールスというアーティストの特殊な絵画があります。





その絵画は、豊満な美人が鏡に向かっている絵です。





面白いのは、その向かっている鏡に映っているのは、その女性の白骨の姿なのです。





不浄観をまさに絵画として描いている典型的な例です。





こうした不浄観は、人や物事を”みる”ときに”見る”ではなく”観る”でなくては駄目だということです。





目に見える、わかりやすい建前の姿をその人と思うのではなく、人間の本質の部分を捉えることが大切だというとこです。





こうした課題をもって心身を修養する…つまり禅三昧に導く。





そして…





「人間とは何であるか?」




「自分とは何であるか?」




「人生とは何であるか?」





こうした問題に智慧を開き。それにより生活を革新してゆく…





こうしたことを小乗仏教(上座仏教)では禅観といいます。





古代のインドの宗教というものは…禅観にはじまり禅観に終わるということを大事にしていました。





しかし、時間とともに、その本質が失われてゆく…





社会的にも、純真に、そして深遠に行われてゆかなければ浅はかになります。





言い換えると、何のためにやっているのかわからなくなるということです。





目的を見失っている、瞑想ではなく、完全な迷走状態です。





このように、形式に堕するにしたがって弊害が生じる。





これを形骸化といい、習静の病といいます。





たとえば、修行を行う中で、山にこもり俗世間から離れることは度々あります。





こうした、引きこもった静かな生活は習静の病を誘発します。





これは人間の活動、生活というものから遠ざかっていくわけです。





人生の大きな課題の一つが人間関係です。





成長するということは磨き研がれることです。





人間関係の様々な問題を乗り越えてゆく過程で、心が囚われなくなり自由自在になっていくわけです。





そのための瞑想であり禅であるわけです。





それなのに他者のいない山に引きこもれば、当然ながら人との衝突はおこりません。





そして、こころ静かに暮らせるでしょう。





瞑想に打ち込めることでしょう。





しかし、これは瞑想のための瞑想になってしまうという手段が目的にすり替わった結果です。





雑念が生まれない環境に行けば誰でもすぐにそうなれます。





しかし、それは修行ではなくただの逃避とも言えます。





なぜなら、山にこもれば雑念は消えても、社会に戻れば雑念だらけになるなら、成長したとは言えないからです。





また、ここでも手段が目的にすり替わるという話になりました(笑)





そして、多くの人が、これまでの人生で自分にも思い当たる節があることでしょう。





そして古代に、こうした形骸化の弊害が最も顕著にあらわれたのがバラモンです。





インドの4階級のトップに君臨したのがバラモン階級です。





つまりインドの最高支配者です





そこで、次回は当時のバラモンの僧侶や行者はどういった生活をしていたのかをみていきたいと思います。








白川紘

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