ヨガの起源シリーズ34



【本当に学ぶべきこととは?】




前回のヨガの起源シリーズでは…




「人生にとって大切なあり方」というテーマでみていきました。




「在り方」とは知識だけでなく言動や行動も含むものです。




さらには「心の在り方」にたどり着きます。




この在り方こそが「智慧」の本質です。




知識や思考、哲学という「理論」




言動や行動という「実践」




この2つ、つまり「理論と実践」が一貫していることが大切だということでした。




このことは日本では「文武両道」と言っていたわけです。




だから、上辺だけの…また浅い、枝葉末節に囚われてはいけません。





本質という部分に向かうことが大切だったわけです。





だから禅の先駆けであるヨガでも内観という自分の内側に意識を向けることを大事にしてきたわけです。





自分の内側に意識を向けることで人間が統一されてゆきます。





さらに環境や他者などともぴったりと一つになり調和してゆけます。





心の中に潜んでいる「純粋」というものが生き生きと働き始めます。





こういう状態を「三昧(ざんまい)」といいます。





「三昧」に入るようになると「散乱」「昏沈」「不定」の心の時にはない力が出てきます。





ヨガでは、それを「神通力」と表現しています。





そしてこの「神通力」は5つあるとされています。





第一は「天眼通」てんがんつう

心が乱れていたときには観えなかったものが観える



第二は「天耳通」てんじつう

普通は聞こえないものが聞こえるようになる



第三は「宿命通」しゅくめいつう

宿命がわかるようになる



第四は「他心通」たしんつう

人の心がわかるようになる



第五は「如意通」にょいつう

自分の心身を意のままに制御できる





これを五通ともいいます。





さらに原始仏教では…





「漏盡通」ろじんつう





「漏」というのは生老病死の有為転変の世界のこと。





つまり人生の様々な問題に少しも心を動じない。





自由自在を得ることを「漏盡通」といいます。





いわば、奇蹟が現れてくるともいえます。





こうしてヨガを行う者は…





自分の心を修めることから出発して…





通力を得ることに興味を持ち





最後には通力を得るために…





また、奇蹟を現ずるために修行してゆきました。





次第に、奇蹟を重んじるようになり…





自分を修めることよりも、他者が持たない不思議な力を持つことが目的になっていったのです。





そうなると、少し堕落しはじめ、異端…外道の道にはいってゆきます。





お釈迦様は、こういう現実を自らも体験して、その誤りを正そうとしたわけです。





こういうことは小乗仏教(上座仏教)や原始仏教に取り入れられています。





例えば…小乗原始仏教から「止観」という言葉がでてきます。





「止まる」というのは字のごとく、散乱・昏沈・不定な心を止める。





つまり「不動心」のことをいいます。





不動心によって精神力が働きはじめます。





いわゆる智慧の慧というものが発露してくるわけです。





これを「観」と言います。





天台宗などでは、この「観」と「三昧」を特に尊重します。





三昧とは…例えば





ライオンが獲物を追いかけ、飛びかかります。





これは自分や子供たちが生きるために食べ物を得る





そうした目的のために全身全霊で打ち込み努力する様です。





これを「獅子奮迅三昧」といいます。





ようするに、散乱心、昏沈心、不定心などの囚われ





取りとめもない現実に囚われず解脱する





そして、本当の意味での自己をつくり、本当の自由を得ることが三昧です。





このような本質的な目的がありました。





手段が、いつのまにか目的にすり替わってしまう…





現代社会でも変わりませんね。





現代の高校生や大学生は、過去に偉人と言われた人々なんかより多くの知識があります。





しかし、どんなに学校の成績が良くても…





また、どんなに地位や名誉があっても…





本当の幸せは手に入りません。





人として最も大切な学びとは何かを、改めて考え直さなくてはならないのではないでしょうか。






白川紘

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