ヨガの起源シリーズ32



【智慧を得るためには…】





ヨガの起源シリーズ30にて「三学(さんがく)」というものを観ていきました。




さらにもう一つ、仏教の実践徳目に「六度(ろくど)」というものがあります。




この六度は、三学からさらに踏み込んでいます。




それは智慧を得るための生き方、あり方を示しているものです。




早速、みていきましょう。




「六度」とは六つの済度のことです。




済度とは…




迷い苦しんでいる人間をすくって(済)、




悟りの彼岸(ひがん)にわたす(度)こと。




つまり、苦しみや困難から救うこと。




この六度の一つ目が「布施(ふせ)」です。




あまねく施すということで、非常に大事なこととされています。




人間は社会的な生き物です。




社会で生きるためには、お互いに助け合わなくては快適な生活はおくれません。




施すとは、物を差し出すことのみを指すわけではありません。




自分の「知識」「能力」「時間」「アイディア」こういったものもすべて布施の対象です。




こうしたものを出し合って「より良い未来を築いて行こう」という精神が大切だと考えます。




我・我執という言葉があります。




これは、自分の個性や特性を磨き、自分と他者と社会のために役立てようという思考になれば自然ときえてゆくものです。




我・我執をなくすために個性まで否定してしまうのは大きな間違いです。




そして2つ目が「持戒」。




戒を持つこと。これは3つ目の「精進」ともつながります。




そしてここに、日本人は言葉や文字の使い方が非常にゆたかだったことが伺えます。




専門用語をよく一般化させることに長けていたと思います。




別の言い方をすればポピュライズ、民衆化するのが上手だったということです。




例えば、この「精進」。




これは日本語の定用語になっています。




肉や魚といった生物の命を摂らず菜食にする。




これを精進料理といいます。




これは生き物の命を奪わないということではありません。




そうではなく尊い命をいただけることで、生かされているんだということを忘れない。





自分の人生は、たくさんの命の上に成り立っているということを自覚すること。





そうすることで、自分の命の使い方を意味あるものにしようと働くからです。





それが持戒であり、精進という不必要なものをとりさってゆくということです。





4つ目が「忍辱(にんにく)」。





これがYOGAの厭(いとう)。





人間の厭う心を取り去ることと通じます。





わかりやすく言うと「嫌になる」「嫌う」「飽きる」そこから結果「逃げ出す」ということです。





これをYOGAでは厭ということに立ち向かうこと、受け入れることを教えています。




仏教では「忍辱」として忍耐の大切さを教えています。




なぜ忍耐をうるさくいうのでしょうか。




それは、苦難や困難などに耐えて乗り越えることで見えてくる幸せがあるからです。




アメリカの寓話か何かでこんな話があります。




ゴールドラッシュの時代の話しです。




開拓時代のアメリカでは金を掘り当て一獲千金、つまりアメリカンドリームを目指す人が沢山あらわれた時代がありました。




この時代のひとりの男の話しです。




彼は、鉱山で金を掘って一獲千金のを手にした人の噂を聞きつけました。




そして自分もひと財産築こうと、夢を抱き最新の道具を買って山にいきました。




そして穴を掘り始めたのですか、掘れども掘れども金は出てきません。




そして「この場所には金はない…無駄なところを掘っているのだ」と思い別の場所を掘り始めました。




新しい穴でも同じように掘れども金は見つかりませんでした。




この男は、次々と場所を変えて沢山の穴をほりました。




一方…



この男が掘るのをやめた穴に、別の男がやってきて穴を掘り始めました。




すると、1mも掘らないうちに大きな金の塊が出てきました。




この別の男は、その後も前の男が堀た穴を追いかけ、すべての場所でほんの僅かな労力で沢山の金を掘り当て大金持ちになった。




こんな寓話だったと思います。




この話の要点は、諦めず、もう少しだけ掘っていたらはじめの男は金にありつけていたということです。




あとほんの1m掘ったら夢がかなっていたわけです。




こういったことを日本の諺で「器用貧乏」という言葉があります。




頭はよく、物覚えも抜群、アイデアマンなのに、いつまでもうだつが上がらない人がいます。




こうした人に足りないのが多くの場合、忍耐であり、地に足がついていないことです。




ただ、過度な忍耐は精神が弱くなっている現代人には良くない場合があることも事実です。




しかし、多くの場合は忍耐力がつくことで人生が拓けることは多々あります。




人間の厭う心を取り去る。




人は、自分の人生を生き、自己実現して、人としての本当の幸せな人生を生きるためには「布施」と「忍辱」が必要だとされています。




辱めを生ずる…




恥を生ずる…




ばかばかしい…




嫌だな…




つまらない…




そういった事がしょっちゅう思考に上がってくるなら、真実の生活からはかけ離れた思考になっていると思った方がいいかもしれません。




そうして5つ目の「禅定(ぜんじょう)」に至れます。




禅定は、簡単な説明では誤解を招くほど深い意味を有した言葉です。




禅定に関しては、また別の機会にじっくりみていきたいと思います。





「布施」



「持戒」



「精進」



「忍辱」



「禅定」



ときましたが、これによって初めて「智慧」というものが備わります。




YOGAでは「智慧」を神通力と表現しました。




智慧とは物事の道理がわかったことを言います。




これは一般的な思考や解釈ではない境地です。




こうしたら、こういう結果になる…




そういった事がわかるため、ある意味では未来を見通す力などがあるように思われます。




そうした、人知を超えたように思える力…




それが神通力であり「智慧」というわけです。




神通力というとサイキックのような超能力を創造しがちですが、これはすべての人に備わっている力です。




この力を使いこなすためには、修養しなくてはたどり着けません。




「智慧」を身につけるとこは難しくはないと思います。




しかし、甘くはないというのも事実です。




古代から先人たちが伝え残してくれているのは智慧ではなく智慧を身につける大切さ。




そして智慧を身につけるための漠然とした方法論です。




現代にはそぐわない表現や方法になっている場合も多くあります。




であれば、先人たちが残してくれたものを形骸化させず、現代の人々に理解しやすい方法に変換することが大切だと思います。




それを私自身も試みていますが、他にも少数ですが同じ志の方もいらっしゃいます。




違うことをやっているようですが、たどり着く先は同じ場所です。




そして「智慧」というこたえは、果てしない遠い場所ではなく、自分の中にありあす。




自分の中にしか、こたえはありません。




どうか、このことを忘れないでほしいと思います。





白川紘


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