ヨガの起源シリーズ29

【仏教の四諦(したい)とは?】





前回のヨガの起源シリーズは…





仏教根本思想の一つで「十二因縁」と言われるものをみていきました。





要約すると…




人は五感と六感を使い現実を知覚し…


その知覚から感情や経験が生まれ…


感情や経験を基準にして欲求が生まれる…


それが人生が営まれるということ…


そして人生は輪廻(繰り返し)している




ということです。




こうした「十二因縁」というものを土台に、それぞれの人の人生を観察した結果




人生とは「限りなき苦しみの世界」であると観たわけです。




これを「苦諦(くたい)」といいます。




そして、人生に起こる多くの苦しみから生というものを観いだすこと。




それを「集諦(じつたい)」といいます。




そこから、そういった苦しみなどをいかに滅していくか…




つまり、解脱(げだつ)してゆくかというものが「滅諦(めつたい)」




解脱してゆくためには、真理を基準にしてどうすべきか考察する…




そして真理を実践することを「道諦(どうたい)」といいます。




「苦諦」

「集諦」

「滅諦」

「道諦」




四つの諦があることから「四諦」といいます。





ちなみに「諦」の意味をみていくと…



1 明らかにする。「諦視」

2 締めくくり。まとめ。「要諦」

3 あきらめる。



このような意味があります。





「真理を明らかにする」




「人生というものをまとめる…整理してみる」




「真理や人生というものはこういうものだと受け入れる」





このようなことが観えてくると思います。





人は、困苦、苦難、苦痛、苦悩などのオンパレードだという角度での人生観からスタートしているわけです。(苦諦)





人生とは「苦」という課題のオンパレードであるわけです。(集諦)





これらの「苦」を滅していく…





はじめのうちは、「苦」を乗り越えてゆくといってもいいでしょう。(滅諦)





人の器を広くも深くもするのが、こうした「苦」を乗り越える経験です。





刃物が砥石で磨かれるように、人は「苦」という砥石があるから磨かれてゆくのです。





しかし、人間が深まってくると「苦」というものを作り上げているのが自分自身だと気が付いてきます。





この「人間が深まる」というのが、真理を実践し智慧を得るということです。(道諦)





「四諦」とは、このようにいえるでしょう。





こうした部分から、仏教というものがすこし陰気をおびているという感が出てきます。





リグ・ベーダの始めから、ウパニシャッドの始めにかけてはこういったシリアスな感じはありません。





もっと、単純というか、中立というか…サッパリした感じです(笑)





しかし、ウパニシャッドも、後半になってくると仏教とお釈迦様の教えなどと相まってきてこうした陰気をおびはじめます。





つまり、ヨガと仏教とは、お互いに影響しあっているともいえるのです。





「無明(むみょう)」などという原始仏教の根本的なものの観方はヨガなどと一致してバラモンから取り入れています。





これが、のちに日本にも伝わるようになる過程で、古神道の考え方にも影響を及ぼすようになりました。





日本への影響や、神道などの話しは、のちのち説明していきたいと思います。





その前に、まだまだ歴史の流れに乗って広く観ていきたいと思います。





白川紘

21回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示