ヨガの起源シリーズ25

【今を生きること(正念)[後編]】





前回の続きで「真剣」と「真面目」ということについてみていきたいと思います。




「真剣」と「真面目」とは似ているようで非なる言葉だということでした。




では、どのように違うのでしょうか。




結論から言えば、実は同じ意味です(笑)




では、なぜ似て非なると表現したのかというと…




本来の真面目の意味が、現代では受け取られ方が違ってきたためです。




だから、誤解がないように、あえて「真面目」と「真剣」を分けておきたいと思ったのです。




「真面目」というと~きちんとルールや法令を遵守すること~という意味合いとして…




「真面目な性格ですね」とか「真面目にしなさい」などと現代では使われます。




しかし「真面目」の本来の意味からすると、これらの表現は適切ではありません。




「真面目」とは、真の面目(めんもく)と書きます。




そこで、まず「面目」の意味をみていきましょう。




「面目」は「世間や周囲に対する立場、名誉。世間からの評価」という意味です。




「めんぼく」または「めんもく」と読みます。




元々は「めんもく」と読む仏教用語で「いのちの有様」「本来的な真の姿」というような意味だといわれています。




それが、いつしか「人に合わせる顔」「体面」というような意味になり「めんぼく」と読まれるようになったようです。




「本来の姿」と「体面」では意味が全く変わるため怖いものです。




真の「面目」で、真面目となるわけなので、本当は「真のいのちの有様」「真の本来の姿」という意味だったわけです。




しかし、真面目というと「きちんとルールや法令を遵守すること」と受け取られがちです。




国語辞典などを引くと、次のように出てきます。




「真心がこもっていること、誠実なこと」広辞苑




「うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。」デジタル大辞泉




さらに、真面目の語源に辿ると、宋の時代の漢詩にまで遡ります。




漢詩には「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」とあり、この「しんめんもく」が今日我々が使っている真面目の語源とされています。




ちなみに、この漢詩は「柳は緑色、花は紅色など、自然界のそれぞれが、互いの個性や役割を果たしている」というような意味です。




自然界は、多様性というものの上に成り立っているわけです。




違う考え方、違うものの観方、違う表現の仕方があり…




多様な特性や、個性がそれぞれに絡み合って自然界は成り立っている…




人間世界も、このように特性や、個性、考え方の違いなどを受け入れて社会を営むことが自然であると言いたいわけです。




そうであるなら…




一般的に使われている真面目の意味は間違っていることになります。




いえ…間違っているだけならまだしも、真逆のことを意味しているわけです。




なぜなら「ルールや常識を守ること」は、皆を一様にしてしまうことにつながるからです。




「右向け右」「右へ倣え」です!




ルールとは人が決めたものです。




常識とは人が決めたものです。




「ルールや常識」が正しいとは限りません。




日本には、ルールや常識を守ることができる人が賞賛される文化があります。




これは「農耕民族」にとっては必要かつ便利な価値観だったからです。




しかし、科学技術など発達し、働き方も多様化しているのが現代です。




ということは、「ルールや常識を守る人が称賛される文化」が薄らいできても良さそうなものです。




しかし、ここ最近ではそれがより一層強まってきているように思います。




一般常識や法律を守らないものに対しての締め付けも、ますます厳しくなっています。




少しでも非常識な発言をしたらバッシングする傾向にあるのもそうでしょう。




しかし、今ある常識や法律は本当に正しいのでしょうか。




それを守ってれば、人としての本来の幸せな人生を歩めるのでしょうか。




常識はたった数十年で変わってしまいます。




こうした、映り行くものに囚われす、本質を生きる。




それが「真剣」であるということです。




真剣は、模造刀や竹刀ではない、人の命を奪える能力を有しています。




つまり、真剣であるということは「死を覚悟すること」でもあります。




そして「死を覚悟する」とは「生を覚悟する」ということでもあります。




真剣に自分と向き合う…




真剣に自分の人生を歩む…




「今という時間」を命がけで…天命のために生きる。




それが「正念」といえるのではないでしょうか。




周りが見えなくなるような生き方に気を付け




周りで起きていることを、丁寧に感じながら、生きられるようになりたいものです。




とはいっても、なろうとせず…ならなくてはダメなのですが(笑)




これだから人生は楽しいのでしょうね!




白川紘

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