ヨガの起源シリーズ23

【努力せずに努力する(正精進)】





前回は「正命(しょうみょう)」というものをみていきました。





「正命」とは…





「自分に課された天命を知り、与えられた時間を天命を全うするために使う」ということです。






人生の課題(天命)というのは、人それぞれ違います。





例えば…





この人生での課題が「医療という場で人を救う」ということだったとしましょう。





「正命」とは、この課題を自覚して、医療現場で人を救うために、勉強をして、資格を取り、技術を身につけ、医療現場で人を救う。





これを知り「今年…今日…今という時間をこの目標のために使う」ということが「正命」です。





今の自分が、まだ医師免許どころか大学にすら入っていないとしましょう。





そしたらまず、目標までに、どれほどの道のりがあるのか知ることが大切です。





「大学すら入れていない自分」という”現実”と、「医師になり人を救う自分」という”理想”までにいくつの階段が存在するのかを知るということです。





すごく大雑把にいえば「大学受験に受かり医学部に入る」→「医学部での勉強」→「医師免許所得」→「現場に入る」→「プロフェッショナルの医師として人々を救い続ける」





このように分けることができると思います。





ということは、大きな課題は「プロフェッショナルの医師として人々を救い続ける」です。





しかし、そこに行くための当面の課題は「大学受験に受かり医学部に入る」です。





そして「大学受験合格」までの小さな理想と、現在の自分にどれだけの距離があるかを把握することです。





そして、今やらなくてはならないことが、数学の公式を覚えるという答えがでたら、いますぐに数学の公式を覚えることに取り組むことです。





医学とは無関係でしょう。





しかし、理想にたどり着くための、目の前の課題なのです。





この小さな課題克服の積み重ねこそが「正命」なのです。





ただ、目の前の課題に取り組むといっても、限られた時間の中で課題を克服して積み重ねるためには努力が必要です。





この「大きな課題のための、小さな課題克服の努力」こそが「正精進」だといえます。





どこに向かっているのかわからず、ただ目の前にあらわれた問題に対する努力は「正精進」とはいえません。





自分の人生の課題を見つけるということが、大前提になるのですが…





人生の課題が見つかると、この上ないモチベーションが湧きあがってきます。





それは、誰かから与えられたものというよりは、自分が心から望むことであり、生き甲斐だと感じるものです。





その、課題のために自分の命を使う、自分の時間を投資する。





上の例えでいえば、大学受験のため「昼夜問わずに勉強する」ということ。





これは、目指すべき理想につながる取り組みと認識している本人からすれば、努力でもなんでもなく、ただの喜びです。





他人から見れば「すごい努力」に映るかもしれませんが、本人はたいした努力だとは感じていません。





野球のイチロウ選手や大谷選手などがいい見本でしょう。





そして、これが「努力せずに努力する」ということなのです。





これを「正精進」というのです。





この「正精進」が突き抜けた集中力を生み出します。





この突き抜けた集中こそが、真の瞑想です。





今という、捉えられない刹那の瞬間を心でとらえる。





「正念」ということに繋がるわけです。




ということで、次回は「正念」をみていきたいと思います。





余談ですが、この「突き抜けた集中」はスポーツでいう「ゾーン」とも関係があります。





ZERO YOGAではゾーンに意図して入るという訓練も行っており、身体側のアプローチからも突き抜けた集中を体現することが可能だということを証明しています。





白川 紘







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ヨガの起源シリーズをまとめてご覧になれます。

https://kohshirakawa.wixsite.com/zeroyoga

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