ヨガの起源シリーズ22

【一日を一生に置き換えて生きる(正命)】





前回は…




「正業(しょうごう)」についてみていきました。





そして一般の仏教の解釈では「正業」とは…





「身(しん)・口(く)・意(い)が行う善悪の行為」とあります。





しかし、行為だけではない目に見えない動きや技といったことも含むのが「業」です。





ただの「行為」であれば「正行」でいいわけですから。





また「善悪」についても「善につながる悪」もあれば「悪につながる善」もあります。





物事を目先の善悪や、理想論の善悪でとらえず、自然であるか不自然であるかということが「正」ということです。





ただの「行為」にとどまらない広い意味での「業」が自然体で現れたものが「正業」であるということです。





そして、この「正業」が24時間・365日絶え間ない状態になると「正命(しょうみょう)」に繋がっていくわけです。





「正命」とは…





「正しく命を全うする」→「正しく生活をする」ということです。





全ての人にとって1年は365日です。





そして、1日は24時間です。





また、すべての人がこの世を去る時がやってきます。





誰に対しても平等に、同じ枠(時間)が与えられているということは、宇宙の深淵さを感じることができる点でしょう。





才能や土地柄、出身、富などに関係なく24時間が平等に与えられているわけです。





そして、この24時間をどのように使うかによって、その人の人生が決まっていくということです。





つまり「正命」の「命」とは…





「24時間という1日の生きかた」





「24時間の積み重ねの1年の生きかた」





このような解釈になります。





つまり「命」と”時間”は深く関っているのです。





”時間”は「命」と直結していると考えると、とても貴重なものだと理解できます。





そう考えるなら、1日の枠を一生と考えてなおし、その前提で1分、1秒を考えてる必要性がみえてくると思います。





今日というその日を、ただ過ごすのではなく、自分の人生全体の中の1日だと捉えることが「命」になるわけです。





そして、さらに、その「命」を「正しく=自然に」使うこと。





それが「正命」だというわけです。





そして、それは「正見」→「正思」→「正語」からなる「正業」という1分、1秒の動きをつないでいくことなのです。





「正見」と「正思」を手に入れたとき、自分の人生の「課題」がみえてきます。





「自分はこれを成すために生まれてきたのだ」





「理想の自分の未来像」





これに「頭」ではなく「心」で気が付けるときがきます。





それが「人生の課題」であり「目指すべき道」です。





これを「天命」といいます。





「天=自然=正」





つまり「正命」とは「天命をいきる」ということだったのです。





そして、それに気が付くカギが「自然な状態」とは何かを知り「自然体で生きる」ということなのです。





この「正命」という「天命」に気が付き、天命を実践し始めることで「正精進(しょうしょうじん)」という課題がみえていくのです。





それでは、次回は「正精進」についてみていきたいと思います。







白川紘



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