ヨガの起源シリーズ21
【真理に沿った行動(正業)】

前回、前々回は、八正道より脱線してきました。
今回より、再び八正道に戻りたいと思います。
まずは、おさらいです。
「正見」が正しく見る
↓
五感を総動員し、広く深い思考で考えること。
「正思」が正しい思いをもつ
↓
頭ではなく、心をつかうこと。
「正語」が正しく語る
↓
正思を言葉(文章)としてアウトプットすること。
…でした。
そして、今回は「正業」です。
簡単にいえば行いです。
しかし、行いというものも、いろいろな見方があります。
「業」という字を、そのまま「行い」としても偏見や誤解が生まれます。
そこで、本当の漢字の意味を理解する方法を踏まえて「業」の本当の意味を見ていきましょう。
「業」という字は三つの読み方があります。
「ぎょう」「ごう」「わざ」です。
【ぎょう】
◇生活の中心をささえるしごと。くらしの手だて。
◇しごと。本務。学問。?
【ごう】仏教
◇身(しん)・口(く)・意(い)が行う善悪の行為。特に、悪い報いの因となる悪行。
【わざ】
◇行い。
…といった読み方と、それぞれの意味があります。
「正業」は「しょうごう」と読むため、意味としては…
◇身(しん)・口(く)・意(い)が行う善悪の行為。特に、悪い報いの因となる悪行。
…にあたると思いがちですが。
しかし、これは「正業」という言葉をつくったお釈迦様が世を去って、ずっと後の人々が意味付けを行ったもの。
そもそも「八正道」の解説は、お釈迦様の死後に弟子たちの記口誦伝承されたものが基になっています。
つまり、お釈迦様本人が記したものではないということです。
しかも、お釈迦様の死後に、教えの整理が弟子たちによって行われ…
お釈迦様の死後~1956年までの約2500年間という長い歳月の間に6回、聖典編集のための集会が行われています。
みなさん、伝言ゲームをした経験はありませんか?
ある文章を、始めの一人が覚えて、それを何人にもバケツリレーのように伝えていきます。
そして最後の人が、もとの文章と同じことを語れるかというゲームです。
このゲームをすると、10数人程度の伝言で、しかも数分前の文章が、最後の人に行き着くときには全く違ったものになってしまっている…なんてことが度々(笑)
これが、2500年という歳月をかけて相当数の人々が、それぞれの解釈を行ってきたわけです。
果たして、お釈迦様が伝えたかった事と、変わっていないと言い切れるでしょうか?
しかも、時代や文化により意味合いも変わったりします。
なぜなら、お釈迦さまは対機説法と行っていたためです。
対機説法とは…
その時、その状況、その人のおかれた立場や成長レベルに合わせて教えることです。
つまり、100人いたら100人それぞれに合った形で、真理を応用して教えてきたわけです。
ということは、ある人にはAが正解、ある人にはAが不正解なんてこともあるわけです。
極端なたとえですが、例えば…
重病で絶対安静が必要な人に「運動をしてはいけない」と教えたとします。
ここには、相手が”重病で絶対安静が必要”という背景があります。
しかし、背景を無視して…
「運動をしてはいけない。と教えられたから、それを守らなくてはならない」
「運動をしないことが真理なのだ」
とするのは、大きな勘違いです。
こうしたことが、宗教にとどまらず、伝統が継承される過程でたくさん発生しています。
これが、形骸化を生んでします原因です。
本質ではなく、視野が狭く、表層しか見えないとこうなってしまいます。
また、勘違いが起こる理由としては言語の壁があります。
お釈迦様はパーリ語を話していたとされています。
それがサンスクリット語で経典になり、中国に渡った際は中国語に、そして日本語に訳されてきたわけです。
言語は、訳されるたびに、翻訳者の解釈が自然と入ってしまうのが常です。
つまり。お釈迦様が教えたかった「正業」とは「正しい行い」と言い切るには軽率なのかもしれないということです。
こういう場合に、少しでも本質に近づくため、勘違いを避けるためには漢字の意味を調べるだけでなく、ニュアンスを感覚として理解する方がいいと考えます。
そのための、一つの方法として「業」という字が使われている熟語からニュアンスを汲み取ります。
「業務・業績・業者・業界・作業・学業・授業・課業・修業・卒業・偉業・業因・業果・業報・業火・業苦・業病・悪業・因業・罪業・宿業・非業・自業自得」
ざっと挙げると、業という字を使った熟語はこのような感じです。
ここから「業」という意味をニュアンスとして受け取ると「行い」では、意味が狭すぎると思いませんか?
実際に、目に見える動きがあることも、目に見える動きがないことも含めた事が「業」です。
ただの「行い」であれば「正行」でいいわけですから。
こいうった、ただの「行い」にとどまらない広い意味での「業」が自然体で現れたものが「正業」であるということです。
そして、この「正業」が24時間・365日絶え間ない状態になると「正命」に繋がっていくわけです。
それでは、次回は「正命」というものをみていきたいと思います。
白川紘
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