ヨガの起源シリーズ16

【本質本質を観る目を養う(正見)】





前回は「八正道(はっしょうどう)」についてみていきました。




「八正道」とは…




「涅槃(ねはん)」に至るための8つの課題ということでした。




そして「涅槃」とは…




「生」「老」「病」「死」などの苦しみや、恐怖などから自由になることです。




こうした、苦しみや、恐怖は物質というものに囚われて生きているためです。




こうしたものから、自由になることが「涅槃」です。




その境地にたどり着くまでに、8つの課題が用意されているというのが八正道でした。




今回は、その8つの課題の一つである「正見(しょうけん)」について、かみ砕いていきたいと思います。




正見とは、字のごとく「正しく見る」ということです。




人は、物事を常に考えており、そこから思いが生まれ、その思いが言葉となり、行動としてあらわれます。




考えるということから、すべてが生まれるわけです。



しかし、考えるための材料がないと、人は考えることができません。




「言葉や行動」がアウトプットだとすると、インプットが「見る(捉える)」ということです。




インプットした後に、自分なりに思索(思い)して、はじめてアウトプットができるようになります。




「見る」とは、正確には捉えるという意味で、眼で見ることだけが見るではありません。




ゆえに、わたしは「観る(みる)」とした方が誤解を生じにくいのかなと思っています。




「観る」とは、視覚という感覚だけでなく、その他の「嗅覚」「聴覚」「味覚」「触運動覚」の5感すべてをつかって物事をとらえる事です。




この5感を総動員することで「心の目」で、物事を観ることができるというのが私の考えです。




ただし、5感を使い「心の目」でみれば正しい物事の見方ができるかというと…




それだけでは、なかなか難しいと考えます。




そもそも「心」は何が自然(善)で、何が不自然(悪)か判断できます。




しかし、ひとは子供から大人になる過程で、心ではなく頭を使うことが多くなってきます。




結果、心の声が聞こえなくなってしまいます。




つまり真理に則った「善悪」の判断が難しくなってしまうのです。




そこで、智慧(ちえ)というものが必要になります。




智慧とは、真理を判断する知識のようなものだと考えていいと思います。




真理に至った先人たちが、言葉や行動で残したものです。




または、生き方として示してくれている例もあります。




こうしたことは、歴史や伝統に学ぶことが多くあります。




広い知識として、多様な分野や、賢人の生き方など。




深い知識として、物事の本質に迫る思考方法。




この横軸(広さ)と縦軸(深さ)を学ぶことこそ、智慧を手に入れる手段だと考えます。




つまり「正見」とは…




5感を総動員して物事を捉え




広さと、深さを伴った智慧により判断する(考える)




そうすることで「正しい物事の観方」ができるようになるということです。




そして「正見」ができるようになることで、次の課題である「正思」に至れるわけです。




インプットしたものを正しく判断することで、正しい形でアウトプットしていくことが可能になるんですね。




ということで、次回は「正思」について説明したいと思います。




白川紘






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