ヨガの起源シリーズ13



【動かさずに動かす】




前回は…



宗教というものを本質的に観ていきました。



「宗教」となずけられた理由は「おおもとの教え」だからでした。



「おおもと」とは「真理」であり「宇宙の法則」です。



「宗教」という言葉に踊らされないことが大切だということでした。



これで「道教」というものを説明しやすくなったかと思います。



「道教」は宗教だといわれています。



しかし、実際は、宗教だから、宗教でないからではなく…



「道教とは何なのか」


「道教から何が学べるのか」



だと思います。



そういった視点で「道教」を観ていきたいと思います。



道教の始祖に「老子」「荘子」がいることから「無為自然」という教えが一つの特徴です。



「無為自然」とは、人為的な、作られたものを忌み嫌い、自然を好むという考えです。



たとえば、脅したり、命令したりして人を動かすのは人為的です。



こうして、動かされても誰も徳をしません。



強制的に動かされた人は、嫌な気持ちになるでしょう。



また、強制した側の人は、その瞬間は自分の望む通りになっていい気分でしょう。



しかし、そうしたことを続けることで、結果、人から怖がられたりして、周りから人がいなくなってしまいます。



これが、だれも徳をしないという結果です。



しかし、自然に人を動かせたら。



つまり、動く側の人が、自分から望んで動いたらどうでしょう。



動いた人も、モチベーションを持ち、責任感をもって動くでしょう。



また、自分の意思が尊重されているので、動かされている気がしません。



動かす側も、動かそうとするのではなく、相手のことを心から思いやる思いの結果が、自然と相手が動くわけです。



そうすると、お互いに「感謝と思いやり」が働きます。



ZERO YOGAでいえば「動かさずに、動かす」ということです。



これを身体的に検証すると…



相手を物理的に動かそうとして力で押すと、相手は反発します。



無理やり動かされようとするため、心も身体も緊張をうみます。



結果、反発という形で抵抗がうまれるのです。



次に、自然体を創るということをします。



自然体になると、相手との調和が起こります。



その自然体で押すことで、見た目は同じように押して見えても、受けては反発しません。



反発しようという気持ちが起きにくくなるのです。



なぜなら、押されることが自然な行為だと感じるからです。



むしろ、押されない方が気持ち悪くなっていくわけです。



これを「無為自然」といいます。



結果を無理に追い求めず「道(タオ)」に任せて生きるということです。



そして「道教」のもう一つの特徴は「神仙思想」です。



「老荘思想」は哲学といってもいいものです。



そこに「神仙思想」という宗教的なものが加わっているのが「道教」です。



日本古来の「神道」は、森など自然界などにも宿る「八百万(やおよろず、たくさん)の神」を信仰しています。



一方、 「道教」の「神仙思想」では、存在するとされている仙人たちへ祈りを捧げるとされています。



しかし、これら仙人たちは「天」「道」という『真理』を信仰していたわけです。



仙人たちに祈りを捧げているのは、形骸化してしまった結果の話しです。



本質が、観えなくなってしまった結果といえます。



「道教」というものを理解しながら、ここでも本質の大切さを学ぶことができたようです。



こうして、本質を観る力を養っていくことも、ZERO YOGAの訓練でもあります。



行動がすべてでも、思考がすべてでもありません。



どちらも大事なものであり、コインの裏と表でしかありません。



「文武両道」とはこういうことです。



白川 紘




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ヨガの起源シリーズをまとめてご覧になれます。


https://kohshirakawa.wixsite.com/zeroyoga

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