ヨガの起源シリーズ6


【無明】





前回、ヨガには5つの心の状態を知る必要があるというお話でした。




そのうちの、散乱心、昏沈心、不定心など、不安定な心の原因はスートラを学ばないこと、ダルマを理解しないことにあるということでした。



スートラという、ヨガのお経のようなもに書かれた教えがダルマです。



ダルマとは真理を示したものです。



このダルマが、理解できていないから心が不安定になるのです。



この理解とは、頭でだけの理解では、真の理解とは言えません。



頭と身体、それから心で理解して、初めて理解できたといえると思います。



つまり、本当はスートラを学ぶだけではなく、文武両道で学ぶ必要があるわけです。



そして、真理が理解できていないことを「無明」と言います。



真理とは、大自然という宇宙の法則です。



つまり、真理を理解している人は「自然なこと」を好みます。



しかし、真理を理解していない人は「不自然なこと」を好みます。



「不自然なこと」とは、たとえば…



形にこだわるということです。



伝統的なことで言えば、儀式や流儀にこだわるということです。



儀式や流儀を伝統と思い込んでいるわけです。



これは何も、儀式や流儀を批判しているのではありません。



ましてや、伝統を否定しているわけでもありません。



そうではなく、何のために儀式や流儀が生み出されたのか…



そして、どこに向かっているのかをしっかりと理解する必要があるということです。



そしたらば、時代や文化に応じて、儀式や流儀の在り方が変わってもいいはずです。



逆に、変えてはいけない部分もわかるはずです。



これがわからない状態を「無明」というわけです。



そして、この例でいえば、儀式や流儀が本質だと勘違いして、こういった事に確執することを「欣求(ゴング)」といいます。



反対に、本質や本来の目的といった大切なことを、否定したり、嫌うことを「厭(エン)」といいます。



こういった原因である「無明」から解脱することがヨガなのです。



この無明から解脱する答えは、ヨガのレッスンの時間や、そのスタジオにあるわけではありません。



日常の中にこそ、真の答えはあります。



これに気付くことが「無明」から解脱する、初めの一歩なのではないでしょうか。



だからZERO YOGAでは24時間365日をヨガにすることを重んじているわけです。



白川 紘

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